まずは恒例、ウチからの最寄りの駅前の桜

次は京都へ帰るために東京駅へ向かったときの、八重洲の商店街の桜。花見のために通りは車両通行止めで、道端に座って花見している人も結構いました。

これは京都市内、実家近くの神社の桜

京都は、やはりソメイヨシノよりシダレザクラですね。これは有栖川宮旧邸、現在は平安女学院大学の有栖館という名になっているところの桜

こっちは二条城前の桜

これらの桜も、咲き誇るときは一瞬で、あっという間に散ってしまいます。
同じように、人の命もまた一瞬なんだなあと思わせる訃報が、昨今、また続いています。
漫画家の影丸穣也さん死去 「空手バカ一代」の作画
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120508/ent12050822100013-n1.htm
「空手バカ一代」は、私にとって特別な思い入れのあるマンガです。これが私の武道や格闘技への興味を培いました。この作品がなかったら、その後、柔道をやることもなかったでしょうし、今の会社に入っていても運動部を希望しなかったかもしれない。もちろん、大山倍達氏や梶原一騎氏、極真空手の「現実の姿」というものは徐々に見えてきたし、今では中学生の頃のような気持ちは懐かしく思い出すだけですが、それでもあの頃に抱いたあこがれは人生の方向性を決める一つの原動力のようなものでした。だから運動部に異動になって初めてボクシングの取材に行ったとき(タイソンが負けた試合の公開練習だか検診だかのときでした)、東京中日スポーツの記者である山崎照朝さん(極真の第1回全日本選手権覇者)に初めてお会いして名刺交換をしたときの感動は今でもよく憶えています。なにせあこがれの人だったんですからね。
私が空手バカ一代のマンガを最初に読んだのは、すでに作画が影丸さんになってからでした。たしかニューヨーク編、カンフー一派との戦いのお話でした。その後に単行本を1巻からすべて買って読んでいるので、個人的にはつのだじろう作画より影丸作画の方が、より「空手バカ一代」という感じがします。その数年前に放映されていたアニメの空手バカ一代も見てはいた(主人公は「大山倍達」じゃなくて「飛鳥拳」でしたけど)ので、つのだじろう作画も知っていたんですけど、後に影丸版のマンガを読むまで、この作品にハマることはなかったんですよ。それだけに影丸先生が亡くなったというニュースは感慨深いものがあります。今年1月に真樹日佐夫さんが亡くなったと聞いたときもそうでしたけどね。
あの頃、空手をやりたいといって亡くなった父に猛反対されました。当時は「空手をやる者は不良」という認識が強かったんですよ。実際、両親にもそう言われましたしね。空手バカ一代の作中にもそんな話が出てきます。で、「柔道ならいい」ということで、後に柔道をやるようになるんですね。
もうお一方、こちらは取材でお会いした方ですが
ローズ氏が死去 73歳、五輪競泳で山中選手と激闘
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/120415/oth12041520530026-n1.htm
マレー・ローズといっても、私と同世代から下の人はほとんど知らないでしょうね。訃報記事にあるとおり、メルボルン、ローマ両五輪で山中毅さんと激闘を演じたスイマーです。私も実際に当時のことを知っているわけではありません。
戦後50年企画の「戦後史開封」取材班にいたころ、「水泳ニッポン」の回を担当して、古橋広之進さんや橋爪四郎さんたちに戦後のことについて取材をしました。その一環で「古橋後」として山中さんとローズさんのライバル話も書くため、ローズさんにもお会いしたのです。
ローズさんは競技引退後、米国で俳優やキャスターなどをやっていたのですが、そのころはオーストラリアに戻ってマーケティングの仕事をしていて、シドニー五輪のマーケティングなども手がけていました。そんなわけで、この企画では非常に珍しかった海外出張となり、シドニーでお会いしました。
現役時代の記事などを見て、ちょっと神経質なのかなという印象を受けていましたが、実際に話してみるととても気さくで、いろんな話をしてくれました。現役時代、菜食主義者としても有名だったので、そのあたりのお話なども。中でも彼が、山中さんとの思い出以外で感慨深く話してくれたのは、古橋さんとのふれ合いでした。古橋さんは競技引退後に仕事で豪州に駐在していたんですが、ある日、ローズさんのいたスイミングクラブだかに招待されて「模範水泳」をやった。実は古橋さんのフォームは変則で、あまりまねしてはいけないと言われるものだったのですが、当時14歳だったローズさんはそれを見た感想を「水の上はすべて間違っているが、水の中はすべて正しかった」と表現していました。「まねしてみようと思ったけど、コーチに止められた」と、楽しそうに語ってくれたのをよく憶えています。
記事が掲載されたときに掲載紙を送ったのですが、日本語なので、わかりやすいように紙面のコピーに「ここにこんなことが書いてあります」といちいち英語で注釈をつけたものを添付したのも、今となってはいい思い出です。
自分の人生のさまざまな局面で影響を与えてくれた人、心に残った人…。そんな人たちが、桜の花のように去っていくのは、やはり寂しいものですねえ。






















by 只木信昭
キマシタワー とうとうウチに…